1984年に「本の探偵」としてデビューし、児童文学評論家として活躍。現在は学校図書館の改装や公共図書館づくりにも関わっている赤木かん子さん。『調べ学習の基礎の基礎』『赤ちゃんが大好きな絵本-妊娠中から0,1,2歳まで 愛おしくてたまらない80冊』など数多くの書籍も出版しています。赤木さんに、子どもと本の出会いについて聞いてみました。

絵本選びでも、子どもが“自己決定権”をもつ

幼少時に読んだ本の、タイトルや作家名を忘れてしまった本を探し出す「子どもの本の探偵」という仕事は、前例があった仕事ではないですよね。どのように仕事になっていったのですか?

一番はじめは自分が高校生のころに探している本があったことからですね。それから友達の探している本を探すようになったんですが、子どもの本って、書き手と読み手が違うでしょう? なので「子どもが本のどこをどう記憶しているか」を知りたかったので、実際の子どもには聞けないから、このやりかただと「大きくなった子ども」に聞けるな、と思ったんです。

いろいろ「へーっ」と思ったことはありましたが、その一つが高校2年の女子から大量に依頼が来たこと…。
女の人は高二に大人になって過去を振り返るんだな、と思いましたね。男子からは1件しか来ませんでした。

そうこうしているうちに、おもしろがった人が新聞に知らせて、新聞に載せられたんです。
そうしたらいきなりダンボールに7箱!手紙が送られてきたんです。

これはもともと図書館の「レファレンス」という仕事なんですが、図書館は本のタイトルや出版社が分からないと探すのは難しい。ところが、子どもってあんなに何回も表紙を見ているのに、題名と作者名はちっとも覚えていないんですよ。
「書いた人がいる」とまだ思ってないから。でも絵から受け取る情報は確かで、材質や形や色、
模様や印象的な一コマの記憶は本当に正確でした。

本の探偵から、読み聞かせやアンソロジストとしてのお仕事。本をおすすめする仕事も多いと思いますが、子どもに本を選ぶポイントはありますか?

子どもたちに本を読んでもらいたい、一番の目的は、子どもたちが本を好きになり、幸福な時間を持ってもらいたいからです。ついつい教訓が織り込まれたものや、すでに評価の定まった古典、今の自分がおもしろいと思う本を選んでしまいたくなりますが、自分の価値観や趣味を押しつけるのではなくて、子どもに自己決定権を与えないと…。

楽しくないけれど必要な本を読むのは、本を好きになった後で十分。「楽しくないけれど、これは必要だから読もう」
という判断も当人がするべきですよ。そういう風に指導しなければならないんです、教師はね。

文化プレートが変わるとき、新ジャンルが創出される

私たちにも子どもだった時期がありますが、その時の感覚を思い出して選んでも、今の子どもに刺さるか分からないということですよね。子どもがおもしろいと思う普遍的なツボはないんですか?

ないですね。親と子どもでは立っている文化のプレートが異なっていて、おもしろいと思うポイントが違うのは当然なんです。だって、80年前の服は着られないでしょう?

文化のプレート?

現代の文化というのは、その時代に生きている人々の無意識の集大成です。人々の意識は江戸から明治になったときや、太平洋戦争が終わった1945年に、大きく変わったはずですよね。そうしたらその前と後に読まれるものも違ってくるでしょう。そのあと1950年に朝鮮戦争が勃発して、日本は一気に景気が良くなる。戦後直後のなにもない時に幼少期を過ごした人と、景気のいい最中に幼少期を過ごした人とでは、苦しいと思うことも生まれる欲求もまったく違ってしまいます。

1971年には日本にマクドナルドができて、数年後に次々とコンビニエンスストアができ、ウォークマンが普及した。そんなふうに生まれ育った文化的環境が変われば、人の気持ちも変わりますよ。最近は2017年に変わりました。
スマホ世代からIT世代になったんです。

そういう文化プレートで見てくと、55歳くらいから22歳あたりまでは、同じヤングアダルトプレートです。でも、そこでヤングアダルト文化は終わり…。変わった直後は新旧の文化プレートの間でうろうろしますが、今の18歳の子は新しい文化プレートを生きていると思います。文化のプレートが違うということは、思考形態や興味の対象が変遷することであって、それは、文体や本の体裁、イラスト、プロットなどに反映されます。

「現代文学」を何が担っているかというのを見ていくと、文化プレートがよくわかります。純文学は1950年代には消えました。ところが、人は好奇心を満たしたり、傷を癒したりするために物語を求めるから物語自体はなくならないわけで、その役割を20世紀初頭はクリスティ、ドイル、クイーンの本格ミステリーが担い、同じタイプの安定した児童文学、『クマのプーさん』
のミルン、「ドリトル先生」のロフティングやランサムが担ったわけです。でも、ひとつのジャンルには得意不得意があります。

クイーンはハーバード大学卒の健全な知的エリートです。それに、はまれない人々がハードボイルドを作りました。ハードボイルドは傷ついた男たちの物語で、だからいつも酔って泣いている…。

ミステリーとハードボイルドの次の時代、1960年代はSFでした。日本でもちょうどそのときに仕事を始めた手塚治虫、横山光輝、石ノ森章太郎、藤子不二雄、みなSF作家ですよね。1970年代は日本は少女漫画だった。萩尾望都、大島弓子、山岸凉子がほぼ同時に出てきて、マンガで文学ができるということを証明したからです。アメリカの児童文学を読んで後ろを振り向くと、いつもこの三人がいました。同時期に同じテーマで描いていたんです。

そんなふうに時代が変わると、それまで盛り上がっていたジャンルが廃れ、誰かがこのやりかたなら今が描けるよ、ということを見つけると新しいジャンルが生まれる。

そのなかで児童文学はどのような位置付けにあるのですか?

児童文学の最初の読み手はイギリスの上流階級の12歳以下の子どもでした。というのも、それは彼らの家庭教師が教育のためにつくり出したものだったからです。でもそれはあっというまに「不思議の国のアリス」を書いたルイスたちに乗っ取られます。彼らは自分の楽しみのために書いたわけですから。

そうして児童文学は幅を広げていき、貧民や苦しむティーンエージャーのためにも書かれるようになっていきます。

たとえば、『ぐりとぐら』のように、今だに売れ続けている絵本がありますが、それはどうしてですか?

同じ絵本でも興味を持つポイントは時代とともに違ってきていて、それが対象年齢の変化につながっていたりします。たとえば、『ぐりとぐら』も4、5歳を対象年齢として出版されていましたが、今では、2、3歳です。今の子たちはおなかが空いていないので、5歳にもなると大きなパンケーキにもそれほど感動しないんです。 あとは子どもの本というのは子どもが買う訳じゃない。大人が買っても売れたことになるし、それを子どもが読まなくても買われた以上、カウントされてしまいます。

『エルマーのぼうけん』も、対象年齢は5歳で、自力で読めるのは小学校3年生とされていますが、今、読んでおもしろがるのは3歳です。あれは、リュックサックの中のみかんの残りが心配で、数えられる年齢の人のためのものだからです。

本との出会いをガラッと変える図書館づくりへ

ジャンルの流行り廃りが、時代に影響され、1冊の本が読み手を変えながら、徐々に古典になっていくんですね。赤木さんのお仕事は「本の探偵」をきっかけに、読み聞かせや選定に広がっていって、今は図書室をつくり直したりしているんですよね?

はい。本と出会う場所の一つとして、公共図書館と学校図書館がありますが、これを変えていかなければいけないことにも気づいて、図書館の改装をするようになりました。

暗くて、カビ臭い部屋なんて嫌でしょう? だから書棚の中身を整えることだけではなくて、天井を拭いて、電灯の傘を拭くところからやるんです。これだけで学校図書館は3割増、明るくなります。

書棚のラインナップで言えば、とくに今は自然科学系の棚は課題ですね。1980年代にコンピューターが実用化されて以来、学問はおっそろしく変わりましたが、本というのは刷られた瞬間、世界が止まるんです。新しい発見は入らない。だから蔵書が古くてもう使えない本ばっかりだったり、知識がないために本がうまく選べなかったり…。だから、今は司書の方向けに、自然科学の本の選び方のセミナーもしているんですよ。

文 : Momoko Nakamura 写真 : Naoki Hirabayashi

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